まじめに生きるということ
土曜日、祖母の家のソファーでお昼寝をしていた。もう少し寝たい…と思いながら、起きる。iPhoneを手に取る。Twitterをみる…
目を疑った。三浦春馬が自殺で亡くなった。
思わず声が出た。あの、三浦春馬?
熱狂的ではなかったものの好きな俳優だった。そんな人多いんじゃないかな。三浦春馬を嫌いな人なんていないでしょ。みんな、好きだよね。
最近はたまーにテレビをつけるとNHKBSの「世界は欲しいもので溢れてる」がたまたまやっていて、三浦春馬かっこいいね、なんて母親とみていた。JUJUとのやり取りは、気遣いのできる優しい人のように見えた。言葉を選んで選んで話していた、そんな感じがあった。あんな人、そうそういない。
私が三浦春馬を知ったのは、小学6年生のころだった。私の家はドラマが禁止されていた(?21時以降は基本的に寝ていた?)が、リットルの涙と14歳の母だけ、リアルタイムでみたことがある。1リットルの涙は塾の仲が良い子がみていたから、14歳の母は、当時両思いだった子がみていたから、みることになったのだと思う。
ドラマを見せてもらうことが少なかった分、両者とも思い出深いドラマであるけど、なんとなく、14歳の母の方が印象に残っている。
それから、朝の連ドラでみかけたり、恋空も劇場にみに行ったし、ブラッディマンデーも毎週欠かさずみていた。ラストシンデレラもみていた気がする。
身近に感じる分、未だに信じられない。
実は私は、誰か自分の好きな芸能人が亡くなったら、泣いたり、後追いをすることは絶対にないだろうな、と思っていた。ちょうどそんな話を最近母親にしていた。母親は、松田優作が亡くなった時は泣いてしまったと言っていた。私はわからないな、と思っていた。しかし彼の訃報は、涙は出なくても悲しかった。とてもファンじゃなくても、好きな俳優が亡くなるのはこんなに苦しいのか、と知った。
自殺の原因はまだ明らかにされていない。なので憶測で言ってはだめだし言いたくないけれど、10年前に、俳優をやめて農業をしたいと周囲に相談していたというのを目にしたので、俳優業について何かずっと思いつめていたのかな、と思った。ストイックな人だった、と答えている人もいるし、まじめにお仕事に向き合っていたんだろうと思う。向き合い過ぎていたのかもしれない。インタビューや記者会見の言葉も、そんな感じがする。
私は…まじめに、生きているだろうか。ストイックに、研究に向き合えているだろうか。
そんなことを考えた。
故人のことについてなんてブログに書きたくなかったのだけれど、才能多き世代の近い活躍している人が自死を選んだ、理由は外的なストレッサー(誹謗中傷)のせいではない(かもしれない)と聞くと、思うところがいっぱいあった。
三浦春馬だったから、というのはもちろんあるのだろうけれど。
私も真剣に向き合わないといけないと思った。
今回の訃報には、言葉にできない感情にさせられた。
今も、させられている。
ご冥福をお祈りいたします。